NHK大河ドラマ、皆さんはご覧になっているでしょうか。
かつて「国民的番組」とまで言われた大河ドラマも、近年は視聴者の嗜好の多様化や若者のテレビ離れで、視聴率が伸び悩んでいると言われます。「時代劇なんて、興味ない」と感じる方も少なくないでしょう。
そんな中、NHKは「サブカル時代の大河」とも言える異色作で、従来の大河ドラマ観に挑んでいます。それが、今年の大河『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』です。
舞台は江戸中期、町人文化が花開いた江戸の街。主人公は、日本のメディア産業やポップカルチャーの礎を築き、喜多川歌麿や東洲斎写楽といった浮世絵師を世に送り出した「江戸のメディア王」こと蔦屋重三郎です。そう、今回の主人公は、戦国の勇猛な武将でも、幕府に仕える武士でもない一介の町人です。もちろん、大河ドラマの代名詞である合戦シーンもありません。さらに、蔦屋重三郎という人物は、「歴史の教科書に必ず載っている誰もが知る偉人」というわけでもありません。
派手な合戦シーンもなく、主人公の知名度もそれほど高くない ― 「本当に面白いの?」と思うかもしれませんが、実はとても刺激的な物語が展開しています。特にSNS等で活動する現代クリエイターや「推し活」世代の方々には、主人公の生き様に自身や「推し」を重ねやすく、物語に引き込まれるでしょう。
さらに『べらぼう』が従来の大河と一線を画すのは、単に「教科書に出てくる昔の出来事」として物語を消費させるのではなく、現代を生きる私たちに通じるテーマ、「イノベーションの重要性と、それに伴う困難」を鮮やかに描いていることです。
いつの時代も、社会の停滞を打破するためには、既成概念を打ち破る革新的なイノベーションが不可欠です。しかし、先駆的なイノベーションは、常に大きな抵抗や困難に直面します。旧来の価値観に固執する人々からの反発、先行者の孤独や周囲の無理解、そして挫折。イノベーションの道は、常に険しい茨の道でもあります。
『べらぼう』は、まさにこの光と影、それでも困難に果敢に挑んだ先駆者たちの姿を、生き生きと描き出しています。
このシリーズでは、前編・後編の2回に渡って『べらぼう』の魅力的な登場人物に焦点を当て、彼らの生き様から私たちが現代社会で学び取れるヒントや気づきをご紹介していきたいと思います。
先ずは主人公の蔦屋重三郎から、と行きたいところですが、今回は物語を支える「もう一方の柱」である老中・田沼意次と、その懐刀として活躍した平賀源内という名コンビについて掘り下げてみたいと思います。彼らこそ、まさに時代に先駆け、イノベーションの困難に立ち向かった象徴的な人物です。
蔦屋重三郎の名は知らずとも、田沼意次や平賀源内は多くの方が耳にしたことがあるでしょう。田沼は「賄賂政治」、源内は「エレキテルの発明者」と学校で習ったかもしれません。しかし、このイメージは近年大きく変わりつつあります。研究が進み歴史的評価は見直され、『べらぼう』では最新解釈に基づく新たな彼らが描かれます。
田沼意次は、かつてのドラマや教科書では、「賄賂政治」に代表される否定的なイメージで描かれていました。しかし近年では、既成概念にとらわれず斬新な政策によって日本社会の変革を試みた先駆的なリーダーとして再評価されています。彼が政権を握った当時の日本は、資源の海外流出で金銀が枯渇、貨幣鋳造さえ困難な国家破綻寸前の危機に瀕していました。この国難に対して意次は、年貢米依存から脱却し、商業を重視した財政へと大胆な転換(重商主義)を図ります。商業の活性化で「運上金」や「冥加金」という貨幣税収を重視する大改革を断行したのです。これは、石高制から貨幣経済への「近世から近代へのシフト」を促す革新的経済政策で、現代では「タヌマミクス」とも呼ばれます。しかし、これほどの大改革が、既得権益層からすんなり受け入れられるはずがありません。「賄賂政治」という不名誉なレッテルは、急進的改革に対する抵抗勢力によるプロパガンダの一面もあったと言われています。
その「タヌマミクス」を力強く推進する上で、いわば水先案内人として意次が抜擢したのが、稀代の天才・平賀源内です。
源内もまた、その類まれなる才能と先見性ゆえ時代との軋轢を生んだ人物でした。かつては「山師(一攫千金を狙う投機家)」や「多才だが大成せず」などと揶揄されましたが、近年では「非常の人」「早すぎた近代人」「江戸のダ・ヴィンチ」などと再評価され、博物学、鉱山技術、電気工学、化学といった理系の学問から、プロデュース、イベント企画、執筆、コピーライティングに至るまで、あらゆる分野で時代を先取りする革新的な業績を残した天才として評価が固まりつつあります。
源内は、当時人気を博した商品の多くが輸入品であり、それによって日本の富が海外流出するという深刻な問題点に、誰より早く気づいていました。彼が陶磁器の製作に乗り出した際に残した「日本の土をもって、唐・阿蘭陀(オランダ)の金銀を取り候(日本の土をもって、中国やオランダの金銀を取り戻したい)」という言葉は、単なる発明家としての好奇心を超え、輸入超過に歯止めをかけ、日本の国富を守り育てようとする経済戦略家としての強い意志の表れです。
さらに源内は、単に新しい製品を開発するだけでなく、産業構造そのものの変革や、知識・技術の共有までも目指していました。彼が主宰した物産博覧会「薬品会」は、まさに現代のオープンイノベーションや技術交流のプラットフォームの先駆けとも言えるもので、産業全体のレベルアップを図ろうとしたプロデューサーとしての才覚がうかがえます。しかし、そのあまりにも多岐にわたる才能と斬新すぎる発想は、必ずしも当時の社会に十分に理解されたわけではありませんでした。彼の構想力は、現代の地域創生や経済活性化策にも通じる普遍性を秘めていましたが、それゆえの孤独や困難も大きかったのです。
『べらぼう』の中でも、意次と源内が、二人だけが見据える未来の日本の姿や革新的なアイデアについて、楽しげに語り合う印象的なシーンがあります 。
意次が「山で稼げれば土地の者が金を得る。そこに水路が開かれば商いが盛んになる。川沿いには宿場が出来、会所が開かれ民は潤う。こちらにも運上冥加が入ってくる」と経済特区のような構想を語れば、源内は「いっそもう四方八方、国を開いちまいたいですね。そうすりゃいろんな話が手っ取り早く片付きますわねぇ」と開国まで示唆し、田沼もまた「国を開けばおのずから世は変わる。俺たちのやろうとしていることなど、ほっといても変わる世の中になる」と時代の変化を肯定的に捉える 。
このシーンは、彼らが当時の常識を遥かに超えた未来を見据えていたことを象徴しており、単なるドラマ上の創作ではなく、彼らが実際に推進した政策や思想に基づいていると言えるでしょう 。しかし、そのような壮大なビジョンは、同時代の人々にとってはあまりに突飛で、理解し難いものだったかもしれません。
『このドラマの海外向けタイトルは「UNBOUND」だと言います 。これは「束縛からの解放」を意味し、まさに旧弊を打ち破り、新しい文化や価値観が花開こうとする時代の躍動感を象徴しています 。
『べらぼう』の物語が繰り広げられる明和の終わりから寛政にかけての時代は、資本主義の暴走による米価の高騰、相次ぐ自然災害、農村の疲弊、そして深刻な財政赤字といった、数多くの難題を抱えた苦難の時代でした。そしてそれらは、驚くほど現代社会が直面している問題と重なって見えます。
だからこそ、この『べらぼう』が田沼意次や平賀源内の葛藤に光を当てることの意義は非常に大きいのではないでしょうか。このドラマは、彼ら「早すぎたイノベーターたち」の挑戦と人間的な弱さや葛藤、それでも屈することなく未来を切り拓こうとした「不屈の精神」を通して、変化を恐れず、様々な障壁に立ち向かいながら新しい価値を創造することの重要性と普遍的な価値を、私たちに示していると思います。
混迷を深める現代において、私たちはしばしば旧来の価値観や過去の成功体験に縛られ、大胆な変革への一歩を踏み出せずにいることがあります。しかし、『べらぼう』で描かれる田沼や源内のような先駆者たちの姿は、困難な状況下でも未来への希望を失わず、知恵と情熱をもって課題に立ち向かう勇気と、自らの手で未来を創造していくための大きなヒントを与えてくれるに違いありません。
NHK 2025年度大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」
https://www.nhk.jp/p/berabou/ts/42QY57MX24/
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