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NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』人物録〜 【後編】 実は「武闘派イノベーター」だった蔦屋重三郎 〜

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2025年6月23日

2025年NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』の放送により、一人の江戸時代の版元(出版社)店主が大きな注目を集めています。その名は、蔦屋重三郎。

喜多川歌麿、東洲斎写楽といった天才絵師を世に送り出し、葛飾北斎や曲亭馬琴(滝沢馬琴)、十返舎一九など多くの才能を発掘した名プロデューサー。彼を称える言葉は、「江戸のメディア王」「コンテンツビジネスの風雲児」「江戸庶民文化に革命を起こしたイノベーター」など、華やかなものばかりです。
しかし、これらの輝かしい称号から受ける印象とは裏腹に、その生涯は決して順風満帆なサクセスストーリーではありませんでした。むしろ多くの困難、不条理、そして差別や偏見と戦い続け、閉塞した封建社会に風穴を開け続けた「武闘派イノベーター」と呼ぶのが相応しいかもしれません。

蔦屋重三郎は当初、吉原遊廓の入口である五十間道で小さな店を営んでいました。彼が大きな転機を迎えるのは、江戸一番の商業地であり、文化の中心地でもあった日本橋に通じる「本町通り(通油町)」へ店を構えた時です。現在の住所では中央区日本橋大伝馬町13番地付近となります。なんと、私たち拓和の神⽥本社からも徒歩20分程の距離。そこに江⼾⽂化に新⾵を吹き込んだメディア⾰命の起点があるというのは、なんだか嬉しいですね。

現代風に言うならば、それまで高円寺や下北沢のライブハウスで活動してきたインディーズバンドが、一気に独立レーベルを立ち上げ、都心一等地に事務所を構えるようなもの。まさに、江戸のメディア界の頂点を目指し、販路を江戸市中から全国へと広げるための挑戦でした。
しかし、吉原で育った「拾い子」が江戸随一の書肆街(しょしがい)に店を出す―この一見輝かしいサクセスストーリーの裏で、蔦屋は自身の版元生命を左右するほどの大きなリスクを背負っていました。彼が日本橋進出で直面したのは、一筋縄ではいかない「難敵」たちとの熾烈な闘いの幕開けだったのです。

NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』人物録 重三郎の「耕書堂」も軒を連ねた当時の大伝馬町(「東都大伝馬街繁栄之図」国立国会図書館デジタルコレクション)

難敵その1:老舗版元たちが築いた「見えざる壁」

蔦屋が日本橋に進出した当時、江戸の出版業界は成熟期を迎えていました。そこには、現代の私たちも名を知るような老舗版元たちが盤石な地位を築いていました。
ドラマでは、彼らが蔦屋の斬新な企画を妨害する「悪役」のように描かれることもありますが、史実における彼らは、決して単なる意地悪なライバルではありませんでした。その多くは、もともと上方(京都や大阪)で長く出版業を営み、豊富な知識と洗練された文化の素養を兼ね備えた、いわば「本物」たち。巨大な資本とブランド力、そして優秀な人材を兼ね備えた大企業です。

新興勢力である蔦屋の「耕書堂(こうしょどう)」は、そんな巨人たちがひしめく市場に、たった一人で斬り込んでいかなければなりませんでした。当然、その戦いは壮絶を極めます。斬新なアイデアでヒットを飛ばすこともあれば、老舗のプロデュース力や販売網、営業力の前に、手痛い敗北を喫することも一度や二度ではありませんでした。

ではなぜ、数々の敗北を経験した蔦屋重三郎が200年後の現代において「江戸のメディア王」と記憶されているのでしょうか。それは、彼が決して諦めず、巨人に「挑み続けた」からです。彼は、失敗を恐れずに新しい企画を打ち出し、ライバルたちの優れた点は貪欲に学び、自らの力へと変えていきました。その不屈のチャレンジ精神こそが、旧態依然とした業界に新しい風を吹き込み、やがて時代を動かす原動力となったのです。これは、変化の激しい現代市場において、スタートアップが大企業に挑む姿とも重なります。

NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』人物録 鳥居清長『彩色美津朝』に描かれた重三郎のライバル西村屋与八「永寿堂」の賑わい(『彩色美津朝』国立国会図書館デジタルコレクション)

難敵その2:出自がもたらす「身分制度と差別」という名の壁

「蔦屋重三郎が乗り越えなければならなかった壁は、ビジネス上の競合だけではありませんでした。自身の力だけではどうすることもできない、生まれ持った「出自」という名の大きな壁が立ちはだかっていました。
彼の出生は、いまだに多くの謎に包まれていますが、幼少期から青年期にかけて吉原遊廓で育ったことは確かです。そして、この「吉原で育った」という出自が、彼にとって重い足枷となります。

皆さんは小学校で「江戸時代には “士農工商”という身分制度があった」と習ったかもしれません。しかし、近年では、実質的な社会階層は「武士か、それ以外か」というシンプルなものであったことが分かっています。ですが、そのどちらにも属さない「四民の外」と呼ばれる、社会の枠組みから外れた人々が存在したのです。
重三郎が育った吉原に生きる人々、いわゆる「吉原者(よしわらもの)」は、この「四民の外」でした。彼らには「市民権」が与えられておらず、江戸市中で土地や家屋を自由に売買することも、幕府が主催する公的な祭りや行事に参加することもできないなど、多くの社会的制約が課せられていました。
つまり、蔦屋は、どれだけ商才を発揮し、財を成したとしても、「吉原者」という出自によって、常に差別や偏見の目に晒され、大きな制約を受けていたのです。日本橋に店を構えるという行為自体、本来であれば非常に困難なことでした。

しかし、彼はこの逆境に屈しませんでした。むしろ、この社会的なハンディキャップこそが、「何としても自分の力で世の中を見返してやる」という強烈なハングリー精神と、既成概念を打ち破る革新的なアイデアを生み出す原動力だったのでしょう。そして、虐げられた人々の気持ちがわかるからこそ、彼は誰もが楽しめる娯楽や文化を、江戸の隅々にまで届けたいと強く願ったのではないでしょうか。その想いは、「イノベーションの時代」と呼ばれる現代を生きる私たちにも、大きな気付きを与えてくれるように思います。

NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』人物録 江戸時代の子ども向け「しごとの絵本」ともいえる往来物に描かれた「士農工商」(『商売往来絵字引』京都大学貴重資料デジタルアーカイブ)

難敵その3:「政治と社会情勢」という壁

重三郎は、ビジネスと出自という2つの壁に加え、「政治」という大きな壁に立ち向かうことも余儀なくされます。

蔦屋が日本橋に進出してまもなく、老中・松平定信による「寛政の改革」が始まります。質素倹約を旨とし、風紀の引き締めを厳しく推し進めた改革の矛先は、庶民の娯楽として自由奔放な風俗を描く出版物に向けられました。
蔦屋が出版した作品の多くは江戸のサブカルチャーの最先端をいくものばかり。庶民から絶大な人気を博しましたが、幕府からは「風俗を乱すもの」として目の敵にされ、遂には幕府の弾圧を受けることになります。

1791年、彼が版元となって出版した山東京伝の洒落本3作が「風俗紊乱(ぶんらん)」の罪に問われ、京伝は手鎖50日の刑、版元の蔦屋は全財産の半分を没収という、廃業の瀬戸際に立たされるほどの厳しい処罰を受けたのです。

重三郎の生み出す革新的な作品は、大ヒットすれば莫大な利益をもたらす一方で、政治の意向一つで、全てを奪われかねない危険な「賭け」でもあったのです。しかし彼は自粛するどころか、その賭けに果敢に挑みます。
それまでは扱っていなかった和算書や暦書、国学書など「物之本」と呼ばれる硬派な学術書を次々と出版するとともに、喜多川歌麿の革新的な美人画や東洲斎写楽の大胆な役者絵を次々と世に送りだします。

世界中にその名を知られる歌麿や写楽が、幕府による出版統制に対する対抗策として生まれたという事実には、ただただ驚くばかりです。

NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』人物録 幕府の出版統制に対する対抗策から生まれた世界的な絵師、歌麿と写楽

逆境を乗り越えた力:「理念」と「絆」

老舗の版元、身分制度、そして政治権力。これら三重の巨大な壁に囲まれながらも、なぜ蔦屋重三郎は挑戦を続け、後世に名を残すことができたのでしょうか。

その原動力は、彼の心に宿っていた「書をもって世を耕し、人々の暮らしと心を豊かにしたい」という、揺るぎない理念にあったと言えるでしょう。これは、現代の企業経営における「パーパス(存在意義)」や「ミッション」そのものです。彼は単に儲けるためだけに出版をしていたのではありません。面白い読み物や美しい絵を世に送り出すことで、人々の日常に彩りを与え、明日への活力を生み出すことこそが、自らの使命だと固く信じていました。それほどの理念があったからこそ、彼は幾多の困難に直面しても、決して心が折れることはなかったのです。
そして、その理念を実現するためのもう一つの武器が、彼の人柄に惹きつけられて集まってきたクリエイターや同業者たちとの「固い絆」でした。

彼の周りには、常に時代を代表する最高の才能が集っていました。重三郎は、彼らの才能を誰よりも早く見抜き、その才能が最大限に発揮できる場を提供し、生活の面倒まで見る、まさに「総合プロデューサー」でした。しかし、彼らの関係は、単なる版元と作家というビジネスライクなものではありません。彼の描くビジョンに共感し、共に新しい文化を創造しようとする「運命共同体」だったのです。
財産半減の処罰を受けた後も再起できたのは、こうした仲間たちの支えがあったからに他なりません。彼の持つ人的ネットワークこそが、いかなる逆境をも乗り越える最大の資産だったのです。

蔦屋重三郎の生涯は、真のイノベーションとは、決して平坦な道から生まれるものではないということを私たちに教えてくれます。
閉塞感を打ち破り、新しい価値を創造しようと奮闘する現代のビジネスパーソンにとって、蔦屋重三郎の「武闘派イノベーター」としての生き様は、時代を超えた羅針盤となるのではないでしょうか。困難に直面したとき、私たちは彼のように、自らの「パーパス」を問い直し、共に戦う「仲間」との絆を再確認する必要があるのかもしれません。

江戸のメディア王が残した熱い情熱と挑戦の物語は、200年以上の時を超えて、今なお私たちの心を強く揺さぶるのです。

【参考】

NHK 2025年度大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」
https://www.nhk.jp/p/berabou/ts/42QY57MX24/

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