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「空気」を読む細胞、バズりに踊る私たち〜 生物物理学が解き明かす「熱狂のアルゴリズム」と社会への処方箋 〜

Discovery
2025年12月11日

スマートフォンの画面をスクロールする指が、ふと止まる。数万件の「いいね」がついた投稿。コメント欄に溢れる称賛、あるいは激しい怒りの言葉。その内容を精査するよりも先に、心の中で「これは重要なことに違いない」という判断が下される。そして、自分もまた「拡散」のボタンを押してしまう。しかし、後で振り返ってみると、その時自分がなぜ「いいね」を押してしまったのか分からない⋯

私たちが日々SNSで経験するこの現象は、自分の意思による選択のように見えて、実はもっと原始的で、物理的な法則に支配されているのかもしれません。

2025年、東京大学の研究チームが発表した論文『走化性細胞によるスティグマジー的集団情報処理の最適性理論』は、脳を持たない細胞たちが集団になったとき、いかにして高度な知能的振る舞いを見せるかを数学的に解明した、とてもユニークかつ示唆に富む研究成果です。

この研究は、単なる生物学の発見にとどまりません。それは、個々の知能がどれほど高くても、あるいは低くても、集団として情報共有を行う際に陥る「構造的な罠」と、そこから抜け出すための「最適解」を私たちに突きつけています。本稿では、最新の生物物理学の知見を羅針盤として、現代社会を覆う「バズ」という名の迷路を読み解き、社会の「熱狂」や「同調圧力」から距離を置き、自分らしく生きるための道筋を探ってみたいと思います。

「空気」を読む細胞、バズりに踊る私たち 〜 物物理学が解き明かす「熱狂のアルゴリズム」と社会への処方箋 〜

脳なき「単細胞」はいかにして天才を超えるか

今回、東京大学の研究チームが解き明かしたのは、「地図も目も持たない細胞たちが、なぜ迷路のような体内で迷わずに目的地へたどり着けるのか?」という謎でした。

私たちの体の中では、免疫細胞などが常に動き回っています。彼らには全体を見渡す脳もなければ、カーナビのような地図もありません。さらに、目的地から出る信号は非常に微弱で、遠くにいる細胞には届かないことさえあります。

それなのに、彼らは集団で見事に連携し、最短ルートで目的地に到達します。一体どうやっているのでしょうか?

「地図」がないなら、自分たちで作ればいい

その秘密は、「みんなで書き込む動的な地図」とも言える驚きの連携プレーにありました。細胞たちは、ただ闇雲に進むべき道を探しているわけではありません。彼らは移動しながら、周囲の環境に「目印」を残しているのです。

  • 何か見つけたとき: 「こっちに何かあるぞ!」という目印(化学物質)を出して仲間を呼ぶ。
  • 何もなかったとき: 「ここはハズレだ」とわかるように、前の目印を消して環境を更新する。

つまり、彼らは自分たちの手で、環境そのものをリアルタイムに更新される「動的な地図」へと書き換えているのです。

驚異の発見:「凡人の集団」は「孤高の天才」に勝る

この研究では、さらに興味深い実験が行われました。「どちらが早く正解にたどり着けるか」をコンピュータ上で競わせたのです。

  • 孤高の天才: 過去の記憶を完璧に覚え、高度な計算ができる「天才」。ただし単独行動。
  • 凡人集団: 記憶力はゼロ。でも、その場に「書き置き」を残して他人と共有できる「凡人たち」。

結果は、「凡人集団」の圧勝でした。「天才」は一度判断を誤って迷路に入り込むと、自分の記憶と計算に頼りすぎて抜け出すのに時間がかかってしまいました。一方、「集団」は、誰かの失敗(行き止まり)の情報さえも即座に共有されるため、全員で効率よく正解への包囲網を狭めていけたのです。「個人の能力」よりも「環境を使って情報を共有すること」の方が、実は賢い選択だったのです。

「空気」を読む細胞、バズりに踊る私たち 〜 物物理学が解き明かす「熱狂のアルゴリズム」と社会への処方箋 〜 (出典)東京大学 生産技術研究所の記者発表資料より

なぜ私たちは「バズ」に踊らされてしまうのか

この細胞たちの振る舞いは、私たちが日々スマホで見ている光景と少し似ていると思いませんか?

研究チームは、この仕組みが現在のSNSにおける「炎上」や「熱狂」のメカニズムを説明できることを示唆しています。

「いいね」は細胞たちが残したフェロモン

細胞の世界の仕組みを、SNSに置き換えてみましょう。

  • 本当の目的地: 記事や投稿そのものの「真実」や「価値」。
  • 誘導するための目印: 「いいね」の数やリツイート、再生回数。

本来、私たちが知りたいのは「本当の価値」のはずです。しかし、ネット上には情報が溢れすぎていて、本物を見つけるのは困難です。そこで私たちはつい、他人が残した目印である「いいねの数(バズっているかどうか)」を頼りに、「みんなが見ているなら重要なことに違いない」と判断してしまいます。

「鈍感な私たち」と「過激な叫び」

さらに、この研究は「なぜネット上の情報は過激になりがちなのか」という点にも数学的な答えを出しています。

人間の感覚は、実は少し「鈍感」にできています。小さな変化には気づきにくく、大きな刺激があって初めて「おっ!」と反応します。そのため、大勢の人に気づいてもらうには、情報を極端に大げさに増幅して発信する必要が出てきます。

これをSNSに当てはめるとこういうことです。普通の伝え方では、情報の洪水に埋もれて誰にも気づかれません。だから注目を集めるために、「激怒」「号泣」「衝撃の事実」といった、感情を何倍にも増幅した「叫び声」のような表現 ― つまり、「バズり」を狙うような表現や印象的な見た目で注目を集める「映え」だけを狙った演出が選ばれるようになるのです。

誰も止められない「雪崩」の発生

細胞の世界では、これが生存戦略としてうまくいっていました。

しかし人間社会で、誰もが「過激な叫び(バズ狙いの投稿)」に反応し始めるとどうなるでしょうか?

少しでも反応があった場所に、全員が雪崩を打って押し寄せ、そこから離れられなくなる「過剰な集中」が起こります。これこそがSNSの「炎上」や「バズ」の正体です。そこにある情報の真偽はもはや関係ありません。「人が集まっている」という事実だけが雪だるま式に膨れ上がり、まるでそれが全世界の意見であるかのような錯覚を作り出してしまうのです。

「空気」を読む細胞、バズりに踊る私たち 〜 物物理学が解き明かす「熱狂のアルゴリズム」と社会への処方箋 〜

私たちはどうすれば「賢い細胞」になれるか

この研究結果は、一見すると「私たちは集団心理から逃れられない」と言っているように思えるかもしれません。しかし、私たちには細胞と違って「理性」があります。

では、日々の仕事や生活の中で、同調圧力に流されず、客観的で正しい判断をするためにはどうすればいいのでしょうか。この研究成果が教えてくれる3つのヒントをご提案しましょう。

① 「反響」と「真実」の分離:「バズっている=正しい」という思い込みを捨てる

まず、個人レベルでの意識改革です。私たちは、「バズっている」情報を見たとき、脳が勝手に「これは重要な真実だ」と誤変換してしまうバイアスを持っていることを自覚すべきです。

まず、「バズっている=正しい」という思い込みを一度疑ってみてください。画面上の「いいね」の数を見たとき、指を止めて、深呼吸をひとつしてみてください。

「この数字は、情報の質の高さを表しているのか? それとも、単にみんなが集まった結果なのか?」

ひと呼吸置く。たったそれだけで、私たちは「反応する細胞」から「思考する人間」に戻ることができます。

数理モデルが教えるのは、「集まっている場所」が「正解」とは限らないという冷徹な事実です。この「ひと呼吸」だけで、私たちは「反応する細胞」から「思考する人間」に戻り、情報の濁流に飲み込まれるリスクは激減するはずです。

② 「過去の成功」よりも「今の変化」に目を向ける

あなたは「一度こうだと決めたから」と、過去の成功体験や古い情報に固執していませんか?

細胞たちが賢かったのは、「ここは違う」とわかったら、すぐに古い目印を消して新しいルートを探せる点でした。

一方、ネット上の情報はなかなか消えません。私たち自身も、「昔はこうだったから」「あの人はこう言っていたから」という古い情報や思い込みに縛られがちです。

社会や環境は常に変化しています。「前はこれで上手くいった」という記憶に頼りすぎず、「今の状況はどうなっているか」を常に自分の目で確認し、柔軟に考えを変える勇気を持つこと。それが、変化の激しい時代を生き抜くための本当の賢さです。

私たちは、単なる細胞の集まりではありません。「いいね」の数の裏にある仕組みを見抜き、あえて流れに逆らって立ち止まり、考える。そうした一人ひとりの小さな「理性のブレーキ」こそが、暴走しがちな社会を正しい方向へ導く鍵になるのです。

③「空気を読まない人」を認める多様性が、チームを救う

最後に、社会全体の在り方について。

論文の結論である「孤高の天才よりも、凡人集団の方が強い」という事実は、現代社会に大きな希望を与えてくれます。

私たちは問題が起きると、つい「強力なリーダー」や「完璧なAI」という「賢い単独者」に解決を委ねたくなりますし、会議やSNSでは「声の大きい意見」や「多数派の意見」が正解に見えてしまいます。その結果、「空気を読むこと」や「みんなと同じ意見であること」を求められ、息苦しさを感じることがあるかもしれません。

しかし、研究結果が示すように、孤高の天才は一度探索に失敗すると脆いのです。また、本当の正解へのルートは、まだ誰も注目していない場所にあるかもしれません。

SNSに代表されるような同調圧力が猛威を振るう時代に必要なのは、カリスマに依存したり、「バズり」に流されてしまったりすることではありません。あえて「誰も見ていない方向」へ探索に出る人、集団の熱狂から離れてみる人、地道な現場の声や、少数派の懸念点にも意識的に目を向けてみてください。そこにこそ、集団を危機から救う「答え」があり、社会全体が「袋小路」に陥ることを防いでくれるきっかけになるはずです。

「みんなと違う意見」を持つことは、空気が読めないのではなく、集団の生存戦略として生物学的に正しい─そう捉え直すことが、現代の混乱した状況を大きく変えるきっかけになるでしょう。

「空気」を読む細胞、バズりに踊る私たち 〜 物物理学が解き明かす「熱狂のアルゴリズム」と社会への処方箋 〜

東京大学の研究は、細胞レベルのミクロな世界に、社会レベルのマクロな真理が隠されていることを暴き出しました。

集団行動には、数学的な必然性があります。放っておけば、私たちは本能のままに、「いいね」の数に吸い寄せられ、巨大な塊となってどこかへ転がっていくだけかもしれません。

しかし、その仕組みを知った私たちは、もはや単なる「凡庸な細胞」ではありません。

「いいね」の裏にある「危険」を見抜き、あえて流れに逆らって探索し、時には立ち止まって自分自身の知恵と理性に基づいて判断する。そうした一人ひとりの「理性のブレーキ」こそが、暴走しがちな人間社会というシステムを、正しい目的地へと導く唯一の鍵ではないでしょうか。

【引用】

[1] PRX Life 「Optimality Theory of Stigmergic Collective Information Processing by Chemotactic Cells」
https://journals.aps.org/prxlife/abstract/10.1103/tvfy-lbbl

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